編集はAIにお任せ時代に突入!映像ディレクターの価値とは


<※8月、高知・仁淀川パックラフトツアーで撮影>
最近、パックラフトのツアーで知り合った20代の男性が、自撮り棒にInsta360を付けてツアー中ずっと撮影をしていた。何に使うのか聞いてみると、自身が運営するInstagramのショート動画用だという。AIが自動で3分にまとめてくれるうえにクオリティも高く、イベントのたびに撮影してはマメに投稿しているそうだ。
20年前には想像もできなかった便利な世の中になったと感心する。
しかし同時に、我々映像ディレクターの仕事がAIに奪われてしまうという心配は、逆に薄れ、安心感を覚えた。
なぜなら、人の行う編集には、AIにはない「閃き」があるからだ。
編集とは、テーマを決め、撮った素材を視聴者にわかりやすく、面白く伝えるための作業であり、飽きさせない工夫やアイデアを盛り込むプロセスだ。 試行錯誤を重ねる中でパッと閃く瞬間があり、それがハマると想像以上に面白い作品に仕上がることがよくある。
これは心理学でいう「アハ体験(Aha! experience)」そのものであり、編集作業の中では「なるほど!」と腑に落ちる瞬間を何度も体験する。
この「閃き」こそが、想定外の面白さを生み出す未知の力を秘めていると私は信じている。
もちろん、「閃き」とは過去の膨大な体験や記憶が、直面している課題と結びついて起こる現象にすぎないという見方もある。そうであれば、人類の叡智の集合体であるAIに人間が敵うはずはない。
しかし、AIが導き出す「最大公約数的な思考」からは、決してバカバカしく突飛な答えは生まれない。これこそが、不完全な人間(クリエイター)にしか生み出せない面白さなのだ。
AIによる「優等生な動画」が量産されればされるほど、人間の作る「バカで突飛な動画」の価値は高まると確信している。
私が日頃行っている編集作業は、例えるならフルマラソンを走るような苦しく辛いものだ。素材が多い時などは、箱根駅伝を1人で往復するような気分にすらなる。
(だからこそ、撮影時は無駄なカットを減らすよう計画的に行っている。)
しかし、完成した瞬間の喜びは、苦しかった分だけ倍増する。
お客さまから「良かった」「面白かった」と感想をもらえた日には、天にも昇るような気持ちになる。
承認欲求が満たされ、自分が何者であるかを実感できるこの快感こそが、コスパの悪い映像ディレクターという仕事を私が続けられる理由だ。
映像の世界では、普通なら気に留めないようなほんの些細なこだわりが、視聴者の印象を大きく左右する。そのこだわりに気づける感性は、編集で泥臭く苦しんできた経験が私に与えてくれたものだ。
この感性を磨き続けている限り、AIに仕事を奪われる心配はないのである。


<※「日本を今一度せんたくいたし申候」龍馬が姉に宛た手紙の言葉。幕末の志士と握手>



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